合格した!!2012/11/11 19:55

びっくりびっくり。

いや、びっくりしていちゃいけないんだけどね。

平成24年度、第44回社会保険労務士試験、合格した。合格しましたよ。合格しちゃったよ。

いや、「しちゃった」って言っちゃいけない。

だって、たくさん勉強していたもの。

教室講義とか、それなりにお金もかけた。

合格発表は、11月9日、金曜日だった。

午前9時半に、公式HPで合格者の受験番号が公開される予定だから、会社で見ようと思っていた。
だけど、やっぱり怖かった。

8月下旬の試験直後に、合否診断サービスというのを某社に申し込んでいて、それは9月に手元に届いたんだけど、それすらも怖くて開封することができなかった。

じゃあ、なんで申し込んだんだよって感じか。
そうだよなあ。

いや、勇気を出して…とは、いつも思っていた。
結果から、現実から、逃げちゃいけないとか。

ちょっと大げさで感情的というか扇情的な言い回しかもしれないけれど、試験の日に、解答用紙を提出した時から、運命は決まっていた。

だから、受かるにしても、落ちるにしても、結果を考えたって、無駄じゃない?
考えたって、変えることはできないんだから。

落ちていれば、来年に向かって勉強するだけ。
受かっていれば、何やらまとまったお金が必要になる講習やら登録手続きやらがあるし、来年の夏に事務指定教習というのを受けに東京まで行く予定だから、とにかく節約に励むだけだ。

成績通知は、去年と同じであれば、翌日つまり10日(土)の午前中に届くはずだけど、それまで悶々としているのは耐えられないと思っていた。

結局、とうとう勤務時間中にネットをチェックすることができなかったので、帰りに社労士会の事務所に掲示されている合格発表を見に行くことにした。

場所は、役所に程近い、街の中心部からひと駅ぶんくらい離れた所にある。
古びた団地のような薄暗いビルの2階に事務所はある。
受験の申込書をもらいに、2回ばかり行ったことがある。

ということで、最寄りの駅で降り、くだんの事務所に向かって歩きだしたのは18時を過ぎていた。

事務所の様子を思い出しながら歩いた。

昼間でも薄暗くて人の気配とか活気といったものが感じられない階段と廊下、陰鬱に低い天井…事務室の中の家具や什器なんかも、古びていた。
多分、そこにいる人は17時ぴったりに戸締りをして帰ってしまうだろう。

だけど、掲示物まで剥がしてしまわないはず。

ここまで来たら、引き返すわけには行かない。でも、怖い…

と、性懲りもなく悶々としながら、ビルの前についた。

そしたら、ビルの入口のガラスドアに、合格者の番号が記されたA3の紙がテープで貼ってあった。
入口のところにそれがあったから建物の中に入る必要がなかったし、ガラスドア越しに見えるのは薄暗い階段だけで詳しく中をうかがい知ることはできなかったけれど、想像通り、人の出入りとか活気のようなものは感じられなかった。

自分の番号を見つけたときは嬉しかったけれど、紙に書かれている合格者の数が少ないことが気になった。試験の時は、あんなにたくさんの人が会場に集まっていて…

そして今。

風邪をひいて、鼻水が止まらない。熱も出た。
よっぽど、張り詰めていたんだなあ。

明日は、一応落ちた時のために「ショック休暇」として年休をとっていたけれど、なんだか普通に風邪の療養休暇になりそう。

事務指定講習を申し込んだ。2012/11/16 21:16

社会保険労務士は、試験に受かったらそれでOKなわけではなくて、それプラス、実務経験が必要となる。2年分。

だけど、その代わりに、指定の講習を受けることによって、実務経験と同等とみなしてくれるというのがあり、その講習を修了したら晴れて社労士として登録することができる。これを「事務指定講習」と言うんだって。

受験のための教室講義の時に講師から聞いた話によると、合格発表があって、しばらくしたら、合格証書とはまた別に事務指定講習の案内が届くとのことだった。

さて、実際、合格証書は、合格発表の翌日、成績通知(端からべろっと剥がして中を見られるタイプの葉書)と一緒に硬い厚紙の封筒に入って送られてきた。

ちなみに、不合格の時は、この葉書だけ届く。
去年、この葉書が届いた時、中を開けるのが怖くて、そのまま2、3日悶々としていた。だけど、今思えば、葉書だけ届いたって時点で不合格確定だったんだなあ。

あの時は、辛かった…

いやいや、それは置いといて。
送られてきた合格証書に添えられていた文書に、「別便で、社労士登録申請用紙と事務指定講習の受講案内を後日送付します(11月12日発送予定)」と書いてあった。

9日発送の通知が10日に届いたのなら、12日に発送の書類だって、13日に届くはずだ。

そう思って、13日、14日とそわそわしながら待っていたら、それは15日(つまり昨日)に来た。
事務指定講習の受講申込受付期間は本日11月16日から12月6日まで。
だから、申込期間初日の前日を狙って送ってきたのかな?

数葉のパンフレットや申請書類や振込用紙が入っていたけれど、事務指定講習の申し込み用紙は、郵便局の振込用紙がピラっと一枚…
で、そこに住所氏名や合格年度などを書き、さらに講習の受講希望地にマルをつけてお金を振り込めば、申し込みは完了するとのことで…。

これまた、随分あっさりな…

ほんとに、これだけでいいの?

事務指定講習には、通信指導過程というのが2月から5月までの期間あり、そのあと面接指導過程という、講義を聞きにいくというものがあり、その両方を修了しなければならない。

その講義は、できるだけ、一番早い日程のところに行きたかった。(ちなみにそれは東京Aといい、7月半ばにある。)
講習の申し込みは、先着順で受け付けるという。

聞くところによると、この一番早い東京Aは、一刻も早く社労士の登録をしたい人たちが、全国から集まるという。
そして、私が受験対策で受講していた教室講義で、アシスタント講師をしていたある人は、申し込みが遅れて東京Aに空きがなく、8月半ばの東京Bという日程になったそうだ。

こんな話を聞いてしまうと、もう速攻で今日16日、できれば朝一番で申し込むしかない!!

と、意気込んだものの、仕事が午前中忙しいから、朝一番は諦めて、午後、早退して(わざわざ早退して(笑))講習費用7万円を握り締め、郵便局に駆け込んだ。

こうして、事務指定講習の申し込みは無事に終わった。

心がすっきりした状態で週末を過ごせそうだ。

失格、不合格2012/11/19 22:25

社労士試験のことについて、もう少し書こうと思う。

試験は、8月の第4日曜日に行われた。今年は、26日。

試験には、「択一試験」というのと、「選択試験」というのがあって、「択一」が3時間超の長丁場、選択式が80分。

「選択」は、文章が書いてあって、その中の5箇所に空白があり、その空白に入る適切な語句を20個の語群の中から選ぶというもの。
「択一」は、一問に対して、5つの文章があり、この5つの中に、ひとつだけ正しい記述(または間違った記述)が混じっていて、それはA、B、C、D、Eのうち、どれでしょう?というのを選ぶというもの。

一昨年までは、午前中に「選択」、午後から「択一」だったけれど、去年と今年は震災や電力事情の観点から、午前中に「択一」、午後から「選択」という時間割だった。

さて。そんな、午前中の試験でのこと。

会場は、普段ならコンサートや講演でも行うような大広間に、500人ばかりの受験生がずらりと受験番号順に座っている。

試験の時のルールとして、電子機器の持ち込みは禁止されている。携帯電話はもちろん、タブレットやPDA、電子手帳とか?そういった、いかにもカンニングに使えそうなものだけじゃなく、とにかく電子機器禁止。時計のアラームもだめ。電子音もだめ。

それなのに、私の席の近くで、「チ、チッ」と電子音が聞こえた。

自分の腕時計を見ると、11時ちょうど。
スポーツタイプのデジタル時計なんかでよくある機能だと思うんだけど、正時になったらアラーム音が鳴るっていうヤツだなと思った。

30分後、もう一度、「チ、チッ」と鳴った。
さらにそのあと、そのアラーム音を消そうと操作していると思われる電子音が、「チ、チ、チ、チ、チ…」と断続的に聞こえた。

さらに正午、30分前に努力(?)したにもかかわらず、もう一度「チ、チッ」と…

その後、時計はなんとか沈黙し、試験は終了となった。

こんなふうに、禁止されている音を立てたら失格になるという話だったけれど、電子音めがけて監督がすっ飛んでくるということもなく、何事もなかったように午前の試験は終わり、解答用紙が回収された。

昼休み、みんな参考書や弁当を広げてそれぞれに過ごしていた。

係員がやってきた。

係員は、私の近くの席の、ある受験生に、何事か話しかけた。

その受験生は荷物を持って、立ち去った。

そして、午後、戻ってこなかった。

多分、あれは失格になったことを告げたんだろうと思った。

ああ、本当に、こういうので失格になる人って、いるんだあ…と、ぼんやり考えていた。

いや、ぼんやりじゃなく、ただ呆気にとられていたのかもしれない。
人ごとながら、ちょっとショックだった。彼は、その時計のせいで、1年を棒に振ってしまったのだから。

午後の試験は、私がまさに前年、1点で泣いた「選択」試験だったから、彼に思いを巡らすのはやめた(というか、そんな余裕はなかった)。


今、もし、時計の操作がよくわからないのだったら、試験前にそこらで安物のアナログ時計でも買っていたら…とか、彼は今頃何をしているんだろう…などと思ってみても、詮無いことだ。

未だ、この出来事に対して、何かまとめとかオチのような言葉は、思い浮かばない。

私は、去年、不合格になった時、とにかく落ち込んでいた。
それまでの1年、かなり気合を入れていただけに、現実は受け入れ難く、とても前に向かって進むことができなかった。

今年度の受験対策講座が始まった今年1月に、昨年度も世話になった講師に成績を報告し、「ああ、悔しい。」「でも、ともさん、実力はついていますよ。前回は残念でしたけど、今回、また、頑張りましょう。」とかなんとか、そんな会話を交わすまで、吹っ切れなかった。(その会話で、吹っ切れたといってもいいかもしれない。)

彼も、そうやって、ちょっとしたきっかけでモヤモヤした状態から脱するのかな。

本当、あれこれ考えても詮無いことなんだけどね。

それは夢ではなかったようだ。2012/11/24 22:18

今日、老人病院に入院している祖母の見舞いに行ってきた。

祖母は、91歳。と、病室のベッドの上に貼ってある紙には書いてあった。

戸籍上は12月生まれとなっているから誕生日が来ていないことになっているけれど、実際は夏に生まれているので満92歳、先日亡くなった女優の森光子さんと同じ、大正9年生まれだ。

もう、だいぶ前から、「矍鑠として」とは、程遠い。
祖母が入院したのは、今月のこと。
社労士試験の合格発表の日で、私はその日から風邪をひいてしまったので、今日までずっと見舞いには行かなかった。

久しぶりに会った祖母は、かなり衰えていた。

入院した当初は、認知症が進んで、見舞いに行った家の者から様々なことを聞いていた。

ここ2、3日は、体力はともかくとして、意識の方は一時の混濁よりははっきりしているようで、今日は、私こともちゃんとわかっていた。

祖母は、「昨日、(このフロアの)廊下から階段から、ギッシリ人がいた。何か、宗教のお祭りをしていた。昨日は、何の日?」と、尋ねてきた。

「昨日は、11月23日で、勤労感謝の日だから、金曜日だけど旗日だよ。今日は、土曜日だから、私は会社が休みなんだ」といったことを答えた。

祖母は、それから何度か、「昨日、何か宗教のお祭りが行われたようで、廊下にも階段にもたくさん人がいた」という話を繰り返した。

病院は、静かで、物音が反響するし、祖母のベッドから廊下や階段の様子を観察することは、できない位置にある。

私は、祖母が夢の中の話か過去の記憶の話をしているんだろうと思った。先にきいいた話だと、時間もごっちゃになっているようだったし。
混濁と、覚醒の間を行ったり来たりしていて、ちょっと混濁側に行ったのかな、ぐらいに思っていた。

だけど、同行していた母は、意見が違った。
同じ階の、誰かが亡くなったのではないかという。
それまでふさがっていた病室が、今日来たら空いたようだから。だから、ピンときた…と言った。

なるほど、病室で患者の誰かが急変したら、医師や看護師が、病室に駆け込む。このとき、医療道具を乗せたワゴンをガチャガチャ押してくるかもしれない。いよいよ危篤となったら、その患者の家族が呼ばれて、ドヤドヤとやってくる。何十人も来なくても、5、6人も駆けつけて来れば足音とざわめきは相当廊下で反響しただろう。

してみると、それは、夢の中の話ではなかったし、昔の何かの記憶が昨日のこととして思い出されたわけでもないみたいだ。
いや、「宗教のお祭り」とか、廊下や階段に「ぎっしりと人が集まっていた」とか、多少、想像を現実と思っていたところはあるにせよ。

病室の中は、祖母に取り付けられた尿を採る管と溜めておく袋があって、袋には700か800mlくらい、溜まっていた。そして、その尿のものなのか、変な臭いがしていた。

1時間ばかり病室でたわいのない話をして帰った。
たいていのニオイというものは、鼻が慣れると気にならなくなるものだけど、病室の臭いはいつまでも馴染まず、鼻についたままだった。

切ないなあ。いつか、こんな日が来ることは分かっていたけれど。