白髪、染める?2012/10/08 16:46

白髪は汚いかどうかについて。
先日、gooのニュースだったかコラムだったか、Q&Aのまとめ記事で、「40代で、白髪を染めずに放置しようと思う」という女性の質問(相談?)と、それに対するレスについて述べたものがあった。
もとのソースは、「発言小町」とかいうやはりQ&Aのサイトだったのかな? 
「染める派」と「染めない派」それぞれの意見が書かれていた。
「染める派」の方は、いわく
「老けて見える」
「だらしなく見える」
「汚らしく見える」
「夫や子供ががっかりする」
「白髪が素敵に映えるには、まだ質問者の40代という年齢では早いのでは?」
「白髪でも素敵に見せる(だらしないとか疲れているとか、そういうふうに見えないようにする)には、こまめにカットしたり服装にも相当気を使ったりと、染めるよりよっぽど大変なのではないか」
などなど。
「染めない派」の方は、どうも回答者のうち、もともとあまり白髪のでない体質の人や、アレルギーや頭部の手術の経験を持っていて、染められない(パーマなどもダメ)人がかなりの数いるらしく、白髪のない体質の人は自分が染める必要がないから?「自然でいいのではないか」といった意見が多数だったし、やむを得ずの人は「開き直り、堂々としていればいい」といったニュアンスの回答も見られた。

また、「白髪でも素敵(見た目も、内面も)な人が、周囲にいる」という書き込みもあった。
その中で、「白髪が汚く見えるなんて、ショック」という意見や、「白髪が汚く見えるという価値観は、化粧品会社に踊らされているだけ」「白髪は悪いことじゃない。年をとったら生えてくるものなのに、それを受け入れられず、躍起になって染めている方がおかしい」
「染色をしすぎて、髪がボロボロの高年齢者を見かけるが、あれこそみっともない」
「若作りのしすぎこそ痛い」
などという、「染めない」の中でも、「染めるを否定する」意見も少なからずあった。
私はといえば、今のところ「染める」派。
私自身、20代後半の頃から白髪が目立ち始めた。母や、母方の祖父母、伯母と叔父も白髪(伯母の方は染めているからわかりにくいけれど、叔父は40代後半くらいからかなり白かった。久しく会っていないけれど、もう10年もしたら司馬遼太郎ばりに真っ白になっているのではないか)だから、遺伝もあるんだろう。
地味な顔立ちで、スタイルもスラリとかっこいいとは言い難い体型だし、ここに白髪が加わると、かなりくたびれて見える。肌や体つきは、当然のことながら20代の頃に比べたら若々しくはない。

髪型はロングなので、なんだか山姥(ひところ流行った、ギャルの一種のヤマンバじゃない。山の妖怪婆さん。)のようだし、顔、髪型、服装、スタイル、そういった全体的な見た目がみすぼらしい感じに見えた。
30を過ぎたぐらいの時は、まとめ髪にしてみたり分け目を変えてみたり、そういう対処をしていたけれど、ちょうどこの頃って20代向けの安物服が似合わなくなる(服の粗悪さを、若さでカバーできなくなる)時期でもあり、何をしてもしっくりこなかった。
白髪が「汚く見える」のは化粧品会社の入れ知恵というか押し付けと言うことができても、「老けて見える」ことについては疑問を挟む余地がないと思う。
そのへんの、自分の見た目が嫌だったんだ。
このまま老いるだけ?って思って。
美容室で相談しても、「不自然に真っ黒になりますよ」とかなんとか言われて白髪染めはしてもらえなかったから、「おしゃれ染め」したり、市販されている、「利尻昆布」とかなんとか、そういったトリートメントタイプの白髪染めを使ってみたりもしたけど、思い切って「白髪染め」として売られているカラーリング材を使って自分でやってみたらうまくいった。
それからしばらくは自分でドラッグストアで買った白髪染め剤を使っていたけれど、カラーリング専門の安いサロンが近所にできたので、そこで定期的に白髪染めをするというところに落ち着いている。今の所は。
くせ毛で、襟足が長い(昔のヤンキーのようなウルフカットという意味でなく、盆の窪を超えてかなり下の、首の後ろがわの方まで髪の生え際があるという意味。)ことに加えて、着物を着ることもあるから、髪は長く伸ばしておいてそれをなんとかまとめるというのが、一番都合がいいけれど、これもそのうち、ロングヘアにも限界が来るんだろうな。
まあ、そんな私のことはさて置き、「白髪が汚く見える」ということについて、ちょっと思うところがある。
私の同僚というか、年上の後輩なんだけど。
確か、年齢は、40代前半のはず。だけど、シミとソバカスだらけで化粧っ気がなく(もしかしたら、一応しているけど、シミや何かが濃すぎて全くカバーできていないだけかもしれない。)、太く長くくっきりした笑い皺、ほうれい線、フェイスライン…そして何より4割くらいは白髪の髪を無造作にひっつめ団子にした髪型(最後に白髪を染めたのは、多分1年以上前だと思う。)から、年齢以上に老けて見える。
背が高くて、スタイルは悪くない。
だけど、服装が良くない。
私の会社は、女子社員には制服があって、ベストとスカートが貸与され、中に着るシャツやブラウスの類いは自分で用意するんだけど、彼女はそのベストの中に着るシャツにジーンズで通勤する。シャツの裾はジーンズの中に入れるわけではないから、帰りはお腹の辺りがしわしわだけど、構わない。寒くなったらその上にマウンテンパーカー。冬場は、スキーウェアのようなアウター。
要するに、構いつけない見た目というヤツ?
誰がどんな格好をしようと、どうでもいいし、とやかく口を挟む事じゃない。それをあげつらって笑うとか、暇で自意識過剰な思春期の子供ならともかく、今さらそれはないよね。
だけどそれでも彼女の見た目が気になって(というか、目に障るというのかな)仕方ないのは、一口に、私が彼女に仕事を教える立場にあり、彼女は仕事が出来ないからだ。
覚えない。手際が悪い。
つまり、頭の中で仕事の中身をうまく整理できていなくて、バラバラなパズルのピースがめちゃくちゃにつっこまれているような状態なんじゃないかな。
同じ事を何度も何度も繰り返し言わなければならないし、ミーティング等で周知された内容も、改めて何回かは解説しなければならない。簡単な作業も付きっきりで何度も何度も何度も1から10まで教えなければならない。
まず、その簡単な作業をやってもらうにしても、それが彼女にとって初めてのことだった場合、忙しいとか自信がないとかグズグズ言うのを宥めることにまず時間を割かなければならない。
その結果、一応仕事は覚えて、とりあえずひととおりを何とかこなす。
が、作業は遅い。(手際が悪いから。多分、手順を工夫して手早くするとかそういう事が苦手又はそういう発想は無いと思う)
自信がないのか、やんわりした言い方をすればおっとりした性格だからなのか、常に蚊の鳴くような声で話し、誰かに何かを頼む時は、更にそれをようよう絞り出したような声を出す。
話は逸れるけど、出世する人というのは、大きな声でハキハキ話すそうだね。そっちの方が、上司なり取引相手なりの信用を得るとか好印象だとか、それは想像に難くない。
逆に言うと、ボソボソ、モゴモゴ、ショボショボ話すと、評価は低くつけられるってことだよね?これも想像に難くない…というか、私が彼女に対して持つ評価も、まさにこれだと思う。
だって、一応ひととおりの仕事をしているのはわかっているんだけど、なんか「出来ない奴」だと思ってしまうから。
人柄はすごく良くて、温和で人懐こいし、他人の悪口や噂話に興じるような事はない。
だけど、そこは目に入らない。
そして、構いつけない彼女の見た目が、やる気のなさとかだらしなさの表れのように思えてしまうんだ。
そしてその、「構いつけない」の要素の一つとして、白髪放置も大いにあると思う。
前述の、Q&AのAにあった、「白髪でも素敵な人」は、見た目がこざっぱりとしていることはもちろん、仕事をてきぱきこなすとか、しっかりしていて頼もしい性格だとか、品があるとか、生き生きしているとか、そういったことも賞賛されていた。
逆に言えば…

…いや、もう、言わずもがな。
「白髪が汚く見える」って意見の裏には、そういう要素も多分にあるんじゃないかな。
それが全てとは言い切れないし、それこそ、化粧品会社に乗せられているだけかもしれないけれど。

脱!ダメ人間への道は・・・2012/10/08 18:57

さっき、さらっと更新したけれど、ブログを2年半ばかり、放置していた。

その間に何をしていたかというと、資格試験の勉強をしていた。
もちろん、試験は受けた。今年、3回目。三度目の正直、なるかな?
なってほしい。

資格資格って言っても、ケータイでmixiを見ている時なんかによく見る広告バナーの、
「未経験からカフェ開業を目指そう!」
「乙女ゲームの絵師になろう!」
「雑貨プロデューサーを目指そう!」
「今こそ手に職!アロマとネイリストの資格!」
「ビジュアル系メイクを学ぶ!」
とか、そんなんじゃない。

この手の、お金を出せばそのスクールのお免状がもらえるようなヤツ、私はこういうのを足がかりに成功できるタイプじゃない。

いや、私に限らず、こういうので成功する人は、別にこんなところに行かなくても本人の才能と努力とバイタリティと交渉力と運と…あとそれからなんだろう。
とにかく、そういった資質を生かして、それなりの成功をおさめていると思う。

ちなみに、受けている試験は、社会保険労務士の試験。

なんじゃそりゃって感じかもしれないけれど、私も受験するまで、そんな資格の存在も知らなかった。

とりあえず、「大原」とか、そのへんの資格予備校のTVCMのフレーズでも聞いたことのある、「宅建」か、「行政書士」の資格を取ろうと思っていた。

だけど、不動産にはまず興味がないし、行政書士というのもそれで就職に有利になるとかそんなたぐいのものではないらしいし、社労士だと受験資格にある程度の学歴が必要とされているからその分競争相手も少なかろうと思って、社労士にした。
何より、内容に大いに興味があるもだったし。

なぜ、資格を取ろうとしているのかというと、それは私になんのセールスポイントもないからだ。

若い時は、「自分探しの旅」とやらに酔っちゃったり、もっと若い学生時代なんかだと、もろに中二病で「私は実はスゴイ!」という幻想にすがっちゃったりして、自分のことがよく見えていなかったんだけど、(ちょっと絵がうまいとか褒められて、舞い上がったりもしたしね)ここ数年で、やっと悟った。

要するに、私は凡百女です。

見た目も、能力も。

陳腐な言い方をすれば、ある日突然王子様からのお使いがガラスの靴を携えてうちに来るとか、長ぐつをはいたネコが突然現れていろいろ立ち回ってくれるようなことは、ありえないってことがわかったということ。

それを悟るきっかけとなったのは、基本的には日々のできごとが積み重なってのことで、「コレ!」というのがガツンと一発あるわけではないけれど。

英会話教室で催されるイベント(ハロウィンパーティーとかね)で、普段ほとんど喋らないのにやたらと講師の白人と一緒に写真に収まりたがる受講生(多数)を見たときとか。
職業紹介事業者(ハローワークじゃなく、マイナビ転職とかDODAのようなのやつ。ちなみに私が行ったところは地元の業者で、マイナビでもDODAでもない。念のため。)に、求職の登録をしに行った時、結構はっきりと「あなたはに買い手はつかない。でも、法律で、求職の登録は受け付けなければならないから受付します」といった態度をとられた時とか。
後者はねー。悔しいけれど、その通りだ。
今、変に冒険するよりも、今の所にいたほうが実はよほどいい。

だけど、雇用形態、職務内容、何よりも今の職場が嫌で嫌で仕方がないことを考えると、少しでもチャンスをつかみやすいというか、次の門戸を広げやすくするには、まるっきり今のまま、現状維持ではいられない。
何か、しなくてはいけないとは思っていた。

だけど、なんの伝手も考えも蓄えもなしに、いきなり「会社辞めて留学します!」なんてのは…
高齢フリーターいっちょあがりじゃない?

今の会社も給料は安いけれど、社会保険のたぐいや福利厚生はきちんとしていて、転職したってそれ以上の待遇を得られるかといったら、まあ絶対に無理だろう。

親も歳だし。

ということで、せっせと勉強していた。

もちろん、資格を取ったところで、それで魔法のようにすべてが劇的にバラ色になるわけなんかないことは、承知している。

医師免許を取ったら医師になるとか、そういうパターンは除いて、何か、国家資格でも民間の資格でも、取得しても活かせていない人の6割ぐらいは、「資格」に変な魔法のようなものを期待しているからじゃないかと思う。

で。今年の試験はどうかなー。
気になって仕方がない。
一昨年の初めての受験の時は、準備不足だったという自覚はあったから、不合格でもさほど落ち込まなかった。
だけど、2回目の去年は、「あと1点」で落ちたから、ショックが大きかった。
今年は…
試験を受けたのは8月の終わりで、合格発表はあと1ヶ月先。
いや。
落ちたら落ちたで、またやり直すだけ。受かるまで。
だけどね。気になる。
日々、延々そんなことを考えている。

…そういうところが、ダメ人間なのかもね…(´-ω-`

ビーズ手芸の話2012/10/09 22:50

今日は会社帰りに、手芸店に寄ってビーズを買った。
結構、物を作るのが好きなものでね。

物を作るのが好きという他に、ストレス解消として、ちまちまとした作業をするというのがあって、例えば編み物をしたり、高校生の時にはブームの去った「ミサンガ」なんか、編んだりしたこともあった。

ちまちました作業の中でも、例えば細密画を書くとか彫刻とか、そっちの方には心惹かれない。多分、細密画や彫刻は、彩色の時に筆が滑って色がはみ出したとか、ちょっと削りすぎたとか、そういったことで気分が台無しになるからじゃないかと思う。作業の後始末もめんどくさいし。

そんなわけで、最近の「ちまちま作業によるストレス解消」には、ビーズ手芸をすることにしている。

ビーズで作ったアクセサリーは、何年か前に大ブームになったこともあって、もしかしたらその時ほどでもないかもしれないけれど、かなりたくさんの作り方の本が刊行されている。
どの本も、中の口絵はそれはそれは素敵で、繊細に編まれたネックレスや指輪なんかが撮影用小道具と一緒にキラキラと収まっていて、見ていて飽きない。

ただし、それと同じものを作るためには、作り方の詳細ページに羅列されている、ビーズのサイズや型番、色番号、分量をきっちり控えて店に行かなければならない。

繊細に編まれたモチーフは、多種多様なビーズを使っていて、店もそれらに対応できるように多種多様のビーズを並べているものだから、この作業だけで一仕事というか、一苦労だ。

そして、本と同じ繊細で豪華なネックレスを作ったとして、それを身に着けるとどうにも…何を着ても、浮く。
カジュアルな服装は言うに及ばず、結婚式に着ていくような、フォーマルな感じのワンピースやスーツなどに合わせてみても、しっくりこないどころか、なんかみすぼらしい…

だからなのか、何年か前の、ビーズが大ブームになって「スワロフスキー(略して「スワロ」)」という言葉がごく一部のマニア用語じゃなくなったような時でも、ビーズで編んだモチーフのアクセサリーを身につけて歩いている人は少なかったと思う。
ただ通しただけとか、そういうシンプルなつくりのものの方が、使えると思う。

ということで私は、本の通りに作るのではなく、本は眺めて楽しむ又はインスピレーションを得るためのものと思って、だいたい立ち読みする(図書館でも立ち読みする」程度にし、手芸店のビーズコーナーでどんなものを作ろうとあれこれ考えながら、気に入ったものを適当に買い、それっぽくなるように考えながら、形にしていく。これが結構楽しい。
そうやって完成したものは、「ただ通しただけ」のものであっても、身につけてみるとやっぱりしっくりこない。

そういう作品はクッキーの空き缶にでも放り込み、滅多に顧みない。
だけど、溜まった作品を見て、「これをほぐして、組み直して、何かできるかな」と考えるのも、結構楽しい。





…話が逸れまくったけれど、今日、手芸店で、パンプスのようなデザインのクロックスを履いた人がいて、その人から強烈な足の臭いがして、びっくりしたことを書きたかった。
いや、足の臭いじゃなくて、もしかしたら「すそワキガ」というものかもしれないけれど。とにかく、強烈だった。
まさか、自分の臭いじゃないだろうなと思って、帰宅してから、履いていた靴とストッキングの臭いを嗅いじゃったよ。
クロックスって、意外とそういった面で取り扱い注意なのかな?

プールの話2012/10/10 23:28

最近、運動不足が気になるので、会社帰りに市営プールに行って、1時間ばかり泳ぐことが多い。

プールだから当然、化粧は全部落とす。
落とすには、シートタイプのクレンジングを使うけれど、このとき、マスカラの有りと無しでは落としやすさが断然違う。
だから、プールに行く日にはマスカラをつけない。
眼鏡かけてるし、誰もそんなもん見てないべ。

余談だけど、よくTVCMや販促ポスターでなどで、シートタイプのクレンジングを使って、マスカラが睫毛の形どおりに拭き取れているのを見せるというのがあると思うんだけど、あれ、ことさらにそれを強調したような商品じゃなくても、けっこう簡単にできるもんなんだね。

ところで、水着になるのは抵抗があると思っていたけれど、フィットネス水着というものはさほど露出度が高くないから、意外と平気だ。

みんな、それぞれに黙々と泳いでいるから、案外他人のことなんか見ちゃいない。

さらに、私は、メガネもコンタクトもしていないから、そこに人がいるのは分かってもそんなに詳しくは観察できないし、私だって黙々と泳ぐから、他人のことは気にならない。

今、メガネやコンタクトを利用している人は多いから、多分プールに来ている大人の8割がたは、あまりよく目が見えていないんじゃないだろうか。

なんだか、達観したような気分になる。

だけど、ビキニやハイレグは思わず凝視してしまう。

ビキニの人も、ハイレグの人も、やはり黙々と泳ぐ。

達観だなんてとてもとても。まだまだ修行が足りないね。

今更ながら「1Q84」2012/10/13 20:39

今更ながら、「1Q84」を読んだ。Book1とBook2を、文庫版で。
親がなんとなく買ってきたものを、借りて。
ハードカバーが刊行された時は、かなり話題になった記憶があるから、気になってはいたんだけど。

親は結構ミーハーなところがあるから、(でもハードカバーは高いから)文庫になったのを買ったんだと思う。

その親自身は、途中で読むのを挫折したようだ。(だから、Book3は買っていない)

確かこれ、作中にオウムを彷彿とさせるカルト教団が出てくるとか、1984年のあたりのサブカルチャーがどうとか、そんなことでも話題になっていなかったっけ?

まあ、それはそれ。
読んだあと、なんとなく、肩すかしを食ったような感じ…
ちなみに、村上春樹の作品を読むのは、これが初めて。

Book3も読めば、また違うかな。
でも、あまり「続きが気になって仕方がない!」って感じでもないな。
ただ、途中だから、なんとなく最後まで読まなきゃっていう、「なんとなく」な義務感めいた気持ちはあるけれど。

Book3、買って、友達と回し読みするかな。
古本屋さんに、売っているかな。
安ければ、3だけハードカバーでもいいか。

友達もみんな国文科だったから、「私、村上春樹は苦手なんだ」という人がいるかもしれないし、現代文学のゼミなんかで「村上春樹に傾倒していたんだ」という人も、いるかもしれない。

苦手派は、あの刊行の時の大騒ぎ(ブックランキングで、結構長いこと1位をとっていたし、「ついに出ました!!」みたいな煽りもかなりあったと記憶している。)を「バカじゃないの」って思いながらも気になっていただろうから、案外、喜ぶかも。

今度、飲み会があるからちょっと持って行ってみよう。

ところで、作中に「空気さなぎ」という言葉が出てくるんだけど、どうしてもそこが「電気ウナギ」に見えてしまうのは私だけではないはずだと思うんだけど、どうだろう。